52歳、再出発の記録 — 退職から再就職までの葛藤と現実

50代の就活

こんにちは、カバと申します。

私は2024年9月、長年勤めてきた会社を退職いたしました。自分でも、この年齢で会社を辞めることになるとは想像もしていませんでした。心のどこかで「会社を辞めて、もっと楽に生きられたらいいな」と思うことはあったものの、まさか本当に退職という選択をする日が来るとは考えていなかったのです。

しかし、我慢し続けることに限界を感じ、思い切って退職を決意しました。「再就職も探せばすぐ見つかるだろう」と、自分に言い聞かせて会社を離れる道を選びました。

今回は、そんな私自身の“この年齢での退職”という経験が、どなたかの参考になればと思い、ご紹介させていただきます。

退職した理由

信頼の崩壊と静かな退職

会社を辞めた当時、彼は私が勤めていた印刷会社の社長でした。出会ってから約28年。仕事仲間というより、苦楽を共にしてきた“同志”のような存在だと感じていました。6年前、私の前職が廃業した際、私を迎えてくれたのもその社長でした。私は期待に応えるため、ほとんど私生活を犠牲にして働き続けました。毎日帰宅は深夜、休日出勤も当たり前。家族との時間が消えていくことよりも、「信頼に報いたい」という想いが勝っていたのです。

そんな中、社長案件の大きな冊子制作の仕事が入りました。元データが特殊で使えず、すべて一から作り直す必要があり、社長にも再確認を依頼しながら、複数人で何度もチェックを重ね、万全の状態で納品しました。自分でも「過去一番確認した」と胸を張れる仕事でした。

しかし半年後、突然社長に呼び出され、「チェックしていないだろ」と冊子を突きつけられました。内容が2年前の古い情報に戻っているというのです。私は即座に否定し、「社長も一緒に確認しましたよね」と伝えましたが、返ってきたのは「知らない、覚えてない。責任はお前だ」という言葉。最初から私のミスとして扱われている空気に、心の中で何かが静かに崩れました。

その後の調査で、原因は社長が渡した原本そのものが古かったことと判明しました。私たちはその古い資料をもとに制作し、チェックも同じ前提で行っていたのです。しかし真実が明らかになっても、社長から謝罪はありませんでした。その事実よりも、“謝罪すらない関係になってしまった”ことのほうが、深く胸に響きました。

その瞬間、長年の信頼が音もなく崩れ落ち、私はこの会社に自分の居場所はないと悟りました。そして一か月後、静かに退職届を置き、28年の関係に幕を下ろしました。

多忙の中で

私の睡眠時間は平均して4時間半ほどで、週末を除けば家族と会話を交わすこともなく、まるで「寝るためだけに家へ帰っている」ような生活が続いていました。会社でも多忙を極め、仕事に関するやり取り以外の会話はほとんどありません。そんな日々の中で今回の出来事が起こり、「自分は一体何をしているのだろう」「何のために働き、何のために生きているのか」と、退職届を出す決断に至るまで、深く悩み続けていました。

このままではいけない、もうこんな人生にはうんざりだ——。もっと人間らしく、自分らしく生きたい。そう思い始めた瞬間、心の中で退職を決意していました。人生を変えるためには、自ら何か行動を起こすしかありません。60歳を過ぎてしまえば厳しいかもしれない、しかし52歳の今ならまだ間に合う。そう自分に言い聞かせ、新しい道に挑戦してみようと心から決めたのです。

就活の現状

退職後の現実 ― やりたいこと探しの苦悩

多忙な毎日で休みもほとんど無かったため、退職後はしっかり休もうと決めていました。ハローワークには通っていたものの、「ゆっくり自分のやりたいことを探そう」とのんびり構えていたのです。

しかし、それは甘い考えでした。失業給付金が残り一回ほどになった頃になって、ようやく焦り始めました。

ハローワークには「公共職業訓練」があり、簿記会計・介護実務・WEBデザイン・電気設備技術・ビル管理など、さまざまな分野を安価に学べる制度があります。私は以前から簿記に興味があったため、説明会にも参加し、受講したい気持ちが高まっていました。

ところが、職業相談でその希望を伝えると、アドバイザーから「やめておいたほうがいい」と言われてしまいました。理由は、たとえ今から資格を取得しても、年齢的に採用されにくいというものです。プロの意見であれば間違いないだろうと考え、受講を断念しました。

本当は時間をかけてやりたいことを見つけたかったのですが、なかなか具体的な仕事が思い浮かびません。アドバイザーからも「これまでの経験を活かせる職場でないと採用は難しい」と助言されました。そこで仕方なく、前職に関連する仕事で条件の良いものがあれば紹介してもらうようお願いしました。しかし、次の相談日までにやりたい職は見つからず、紹介された求人も前職と同じ業種だったため、どうしても踏み出せず断ってしまいました。

しばらく考えた結果、自分は「物を作ることが好きだ」と気づき、製造業に絞って探すことにしました。すると、いくつか興味のある会社を見つけることができました。コーヒーロースター会社、医療器具の製造会社、眼鏡レンズの加工会社、石鹸の製造工場など、合計7社ほどに応募しました。

しかし、結果は全て不採用。面接すらしてもらえない状況でした。年齢が理由なのだろうか、と落ち込みましたが、応募資格は満たしているはずで、前職も製造業(印刷会社)だったので多少は考慮されると思っていたのです。とはいえ、今の就職活動では20社以上応募するのも珍しくないと聞きます。現実は厳しいのだと改めて思い知らされました。

もう時間がありません。とにかく「採用してくれそうな条件の職場」を探すしかありませんでした。

私はこれまで、本業のかたわら約15年間、早朝の清掃業務を続けてきました。1日2時間半ほどの仕事で、前の会社が廃業する時まで続けていたものです。掃除の仕事は一般的には敬遠されがちですが、私にとっては苦ではなく、むしろ相性の良い仕事でした。

「これなら経験を活かして採用されるかもしれない」。
そう考え、まずは清掃の仕事を探すことにしました。ハローワークでも求人を確認しましたが、転職サイトの方が募集が多かったため、そちらで数件応募してみました。給与も当初の希望額より低く設定し、現実的なラインに調整してのチャレンジです。

その結果、書類選考は通過し、面接の連絡が届きました。久しぶりに“前へ進んだ”と感じる瞬間でした。しかし、結果は…4社すべて不採用。ある面接では「社員ではなく別枠ならありますが」と遠回しに言われ、やはり年齢を考えると正社員は厳しいのだと痛感しました。

次に選んだのはドライバー職

次に挑戦したのはドライバーの仕事でした。とはいえ、私が持っているのは普通免許のみで、配送業務の経験もありません。正直「ダメ元」の応募でしたが、予想通り書類選考で不採用となりました。
ただただ時間だけが過ぎていく焦りがありました。

ついに収入ゼロ ― 大手企業の倉庫で働くことに

結局、失業給付も終わり、収入が途絶えて生活に大きな支障が出てしまいました。そこで、近所にある大手企業A社の倉庫の仕分け作業に応募することにしました。

ここは面接がなく、応募して特に問題がなければ即採用という形式でした。契約社員としての夜勤勤務でしたが、時給も高く、夜勤経験もあり、通勤も自転車で5分という好条件。私としても「ここで再出発しよう」と覚悟を決めました。家族もようやく安心した様子で、肩の荷が下りた表情を見せてくれました。

しかし、予想外の壁 ― 体よりも厄介だった“目の問題”

初日は講習のみで終了し、翌日から徐々に実務へ参加しました。
筋肉痛は覚悟していましたし、実際かなり体力を使う仕事でしたが、周囲を見渡すと60歳を超えていそうな方々が黙々と作業をこなしていて、思わず尊敬の念が湧きました。「自分も慣れれば問題ないだろう」と思っていたのですが――。

本当の問題は体力ではありませんでした。

コンベアーの動きを見ていると、目が回ってしまうのです。

実は初日の講習で「稀にコンベアーの動きで目眩を起こし、仕事を続けられない人がいる」と説明を受けていました。そして思い返すと、以前に製本工場を見学した際も、コンベアーを見続けて気分が悪くなった経験がありました。

それでも数日間、なんとか踏ん張ってみました。しかし、やはり無理でした。流れ作業のため、私が手を止めると機械までも停止してしまい、周囲に迷惑をかけてしまう状況。これ以上続けるのは難しいと判断し、悩んだ末に退職することを決めました。

結局同じ職種に再就職

再び前職の経験へ立ち返る ― 想定外の出会いと現実

思い描いていたようにはなかなか物事が進まず、「やはり前職の経験を活かして探すしかない」と心を決めました。時間もなかったため、急いで求人を調べ、4社ほどに応募しました。その中で面接に進めたのは1社だけでした。

しかし、この1社で思わぬ出来事がありました。面接中に、面接してくださった社長が、なんと兄の中学時代の同級生であることが判明したのです。私自身も兄の同級生とは付き合いがあったため、思わず話が盛り上がり、面接というより昔話に花が咲くような時間となりました。

そして社長は、兄の弟である私に対し、本音で話してくれました。

「素晴らしい経験を持っているよね。でも今回は見送りたいんだ。これから力を入れたい部署に人材が欲しくて募集したんだけど、そこにはちょっと合わないかな。ただ、君の経歴ならきっと他で見つかると思うよ。よければ書類は保存させてもらってもいい?事業的に必要になったら、ぜひ声をかけたいから」

その言葉は私を励まそうとしてくれているのだと分かりましたし、今後の可能性が少しでも広がるのであればと、書類の保管を快く了承しました。

巡り合った派遣会社 ― 思いがけない「応募中止」と「別枠募集」

さらに求人を探していく中で、前職の分野に特化した派遣会社の募集を見つけました。その中に、以前私が担当していたフォトレタッチの仕事があったのです。半年後には正社員登用の可能性があるという内容にも惹かれ、すぐに応募しました。

数日後、派遣会社から電話がありました。

ところが、その内容は驚くべきものでした。
「募集していた案件が応募中止になりました」とのことだったのです。

理由を聞くと、本来は定年退職する社員の後任募集だったものの、会社側の規定が“60歳定年”から“65歳定年”へ変更されたため、空き枠そのものが消えてしまったとのことでした。

しかし、電話の中で担当者が続けてこう言いました。

「ただ、急遽別の枠で募集が入りました。フォトレタッチに加えて製版の業務も含まれますが、経験的にはぴったりだと思います」

ただし、この別枠は正社員登用ではなく“完全な派遣”。
半年後の正社員という条件はなくなってしまいました。

私は悩みました。しかし、仕事内容はこれまでの経験にまさに合致しています。今の状況では、まずは安定した収入を確保し働ける環境を整えることが優先だと判断し、応募することを決めました。

派遣会社からは「書類選考はほぼ通過」という連絡を受け、最終的に職場見学という形で事実上の面接に進むことに。
当日は、取締役の方と採用担当者の方が丁寧に対応してくださり、仕事内容や条件面についてしっかり確認することができました。私自身も安心でき、双方が納得する形で採用をいただくことになりました。

「これでようやく生活が落ち着く」
そう思うと、胸の奥がふっと軽くなりました。長い間張り詰めていたものがようやくほどけ、ようやく“普通の日常”が戻ってくる気がしました。


まとめ

今回の退職から再就職までの道のりは、決して順風満帆なものではありませんでした。長年にわたり積み重ねてきた経験や努力が必ずしも評価されるわけではなく、年齢が壁となり、応募しても面接にすら進めない厳しい現実を痛感しました。焦りや不安、生活の心配に押しつぶされそうになりながらも、それでも前に進むしかありませんでした。

振り返れば、私が退職を決意した理由は「自分らしい人生を取り戻したい」という想いでした。それは決して贅沢な願いではなく、心が疲れきった自分が最後にすがった“生きるための選択”だったのだと思います。しかし、退職後の現実は想像以上に厳しく、希望と現実の間で迷い続ける日々でした。

それでも、一つひとつ応募し、落ち込みながらも立ち上がり、時には思わぬ縁に支えられ、また別の道が閉ざされても新しい扉が開く――。そんな不思議な流れの中で、最終的に自分の経験を活かせる職場と巡り合うことができました。「前職の経験に戻る」という結果ではありましたが、それは後退ではなく、むしろ自分の強みを再確認し、必要としてくれる人のもとで再スタートを切るための大切な選択だったと感じています。

今回の経験を通して痛感したのは、年齢を重ねても、環境が変わっても、「変わりたい」という想いと少しの行動があれば、道は必ずどこかで開けるということです。たとえ遠回りになったとしても、挑戦した時間は決して無駄にはなりませんでした。

そして何より、どれだけ時間がかかっても「自分に合う場所」「必要としてくれる場所」は必ず存在する――。ようやくたどり着いた今の職場は、そんなことを改めて教えてくれた気がします。

これまでの経験や努力を無駄にしないためにも、これからは落ち着いた環境で丁寧に仕事と向き合い、再び自分自身の人生を築き直していこうと思っています。この文章が、同じように悩んでいる誰かの背中を少しでもそっと押せるような存在になれたら嬉しいです。